「歌ってみた」はただの自己満?
結構前のことだけど、大学の友人がしていたこんな会話を思い出した。
「動画サイトの『歌ってみた』の動画、ほんと理解できんわwww」
「あんなのただの自己満やwww」
という感じの会話。
YouTube、ニコニコ動画でよくある「歌ってみた」の動画、みなさんはどう思っているだろうか。
僕の考えを先に申し上げてしまえば、
そうです、「歌ってみた」は自己満です。
でも待って、自己満って別に悪いことじゃないよね。
突然だけど、僕はカラオケが好きだ。一人で行くのも、数人で行くのも。
一番の理由はたぶん歌うことが好きだから、なんだけども、そもそも「なぜ歌うことが好きなのか」考えてみた。
要するに、歌を歌う、というのは一種の表現方法なんだと思う。
カラオケは誰かが作った歌を歌っているにすぎないけれど、その歌に対して自分が抱える思いがあるはず。好きな曲ならなおさら。自分が抱いているわけじゃなくても、歌を作った人の思いだとか、アニソンならアニメのキャラクターとの位置づけはどうとか。
そういった曲に対しての思いを各人それぞれ抱いており、それを歌うことで歌詞やメロディーに乗せて表現しているのだと思う。
少し話は逸れるが、表現方法といえば、どんなものが挙げられるだろうか。音楽のほかなら、絵だとかダンスだとか。自分は「詩」で表現をしている。いわゆる創作、芸術だ。表現方法はいくつもあるわけで、各々好きな方法で好きなように自分の思うところを表現できる。
こういった創作は、一人で打ち込むパターンもあると思うが、「みんなに見てもらう、共有する」パターンがほとんどなのではないか、と思う。絵にしても、ダンスにしても。
僕は最初詩を一人で黙々と書いていた。3年くらいはそうだったかもしれない。でも、あるとき誰かに見てもらいたいと思うようになり、コンクールに出したり、掲示板に投稿するようになった。
もちろん全員が全員そうなわけではないと思うが、一人で創作をしていれば、誰かに見てもらいたいと自然に思うようになるのではないかと思う。確かな理由はわからないけれど、運動部で必死に練習して「試合に出たい」と思う感覚に近いものがあるのではないだろうか。
話を元に戻そう。つまり、「歌ってみた」の投稿に至る経緯には、「自分の表現のしかたを誰かに見てもらいたい、共有したいと思うようになったから」、といういたって自然な流れがあるのだ。なんらおかしくない。
(ちなみに、「ただの自己満」と馬鹿にしてた彼らも、趣味を僕に熱く語ってきたり、創作したものを写真で見せてきたりする。)
そして、それは確かに自己満足かもしれない。でも、全くもって悪いものではないはずだ。
まず「自己満だ」だと批判する人には、「歌ってみた」を投稿している人が「歌がうまい自分見てみて、すごいでしょ」と思っている印象に見えるのだろうか。
確かにそれは痛々しいかもしれないが、表現を見せるという以上、そういった感情は少しくらい許容しても良いと思う。
歌手を目指す人にしても、画家にしても、詩人にしても、プロを目指すにはある程度の「自信」が必要だ。
自分の作品に自信がない人がどうしてプロを目指そうと思うのだろうか。作品に自信があるからこそ、CDを出して聞いてもらおうと思ったり、本を出そうと思ったりするはずだ。
その自信をもとに世に作品を送り出す。評価されればまた自信になりクオリティの向上にも結び付く。さらにあらゆる人の作品に触れることが刺激になる。
そしてもう一点、所詮誰もが自己満で生きている。
部活で頑張って練習して、優勝して嬉しい。テストで良い点を取るために頑張って勉強して良い成績を修めることができて嬉しい。就活で頑張って、入りたかった企業に入れて嬉しい。自分のために頑張って努力して、結果を出して成長して、自分が豊かになっていく感覚を味わう。これが人生の醍醐味だと思う。
誰かの役に立てて嬉しい、という他者貢献を通じて得る満足は「自己満」とは言えないのかもしれないが、他者も巻き込んで自分も満足できると捉えたらこれも「自己満」に入るのかもしれないと強引に解釈する。
たぶん「自己満」という言葉が悪い。自分だけが満足するという意味だろうけど、他者に危害を与えているわけじゃないなら悪いことではないはずなのに。
ええと…「歌ってみた」の話だった。
まとめると、「歌ってみた」は「誰かに見てもらいたい」という自然な思いから投稿されるものであり、表現方法の一つとして何ら悪いものではない。
そして、自己満ではあるが、そもそも自己満は悪いものではない。
というのが僕の考えだ。あくまでも個人の考えだけども。
ちなみに、「歌ってみた」について語ってきたけど、僕自身「歌ってみた」を投稿したことはない。
ただたまに、「カラオケ配信」にあこがれることがあるので、歌ってみた投稿者の気持ちがわかる、のかも。