雨天結構 ~雨玉夕間の日記~

気ままに日常の出来事、感じたことを書いていきます。詩も載せます。

言わないでほしいこと

この前友人2人と遊んでいて少しショッキングな出来事があった。

「日本の貧困なんてたかが知れてるよなー」

「うんうん、アメリカの格差と比べたらこれっぽっちのもんだよ」

 

何の話の流れでこの話になったのか忘れたけど、この2人の会話を聞いてちょっと残念な気分になってしまった、という出来事。

 

日本にも所得格差ある。

2008年のデータだけど、相対的貧困率(国民を所得順に並べて真ん中の人の半分しか所得がない人の割合)は0.157。ジニ係数(1に近づくほど所得格差は大きい)は0.329。アメリカは前者は0.170、後者は0.380.社会保障の整備が進んでいるデンマークは0.053、0.232。日本にも貧困が存在することは明らかだ。生活保護、子どもの貧困、ひとり親、非正規……。貧困にまつわる問題は多い。

(参考 『分断社会を終わらせる』井出英策・古市将人・宮﨑雅人、筑摩選書)

 

 

真面目な話になってしまったんだけども、何が言いたいかと言えば、(2人に対して)「そんなこと言わないでほしい」ということ。

確かにアメリカより貧困層は少ないのかもしれないけど、決して少ないわけでもない。

たとえ少なかったとしても、いないわけではない。

 

彼らが上記のような発言をしてしまった背景には、きっと「自分は幸せ」なことがあると思う。欲しいものはある程度手に入って、行きたいとこには行けて、それが当たり前。きっとみんなそうだと信じている。当たり前じゃない人がいるかもしれないが、完全なる他人事。

幸せなのは決して悪いことじゃない。絶対幸せなほうがいい。でも幸せでいると、幸せじゃない人は見えにくくなってしまう。

 

こう書いてきたけど、貧困な人に比べたら自分もまだまだ恵まれているほうだ。最低限のものは手に入る。でも2人ほど裕福ではないので、欲しいものが完全に手に入るわけではない。

もしかすると、2人の会話を聞いて思ったことはただの嫉妬なのかもしれない。だからか、この会話をしているときに反論ができなかった。

 

ネットの掲示板とかで時折見かける、生活保護受給者に対するバッシング。

生活保護支給費はどんどん下げるべき」「いいよなー、働かずに金もらえるなんて」

結局、バッシングしている人も恵まれている人なんだろうな。

生活保護に関しては「給付費でパチンコに行ってた」とか「不正受給」といったニュースでイメージが悪くなっている。それが原因でバッシングがあるんだろうけど、そういったケースってほんの一握り。特に不正受給なんて「賃金の申告忘れ」のケースがざらだ。

そんなほんの一握りの部分に着目して、本当に生活保護を必要として困っている人(大多数)を撒き沿いにしてバッシングをする。

こういった「幸せな人が不幸せな人を攻撃する」構図が嫌いだ。

2人の会話も、本人たちにそんな意図はないと思うけど、この類のものに聞こえてしまったのかもしれない。

「自分は幸せだから不幸せな人がいたっていいや」。そんな無責任感。

 

ただ、不幸せな人も幸せな人を妬んでいたり、よく思ってなかったりするかもしれない。自分だったら、絶対嫉妬する。なんで自分は、なんであいつは、って絶対なる。というか、今でも若干なってるかも。

 

でもこういったことを乗り越えて必死に生きることができる人が、どんな人よりも強いと思う。恵まれている人にも挫折、苦労はあるし、恵まれてない人は境遇に対しての苦悩、苛立ちがある。それにいかに立ち向かうか。

嫉妬、いがみ合いは自分が満たされていないから起こる。だから残念だけど、正直しょうがないと思う。人間の性だ。そして現代のこんな日本社会で完璧に満たされた生活を送っているなんてそうそういない。

仕方ないからといって、暴動が起きるまで攻撃するのはダメだけどね(笑)。難しいけど心に留めておくことが一番いい。バッシングとか、攻撃したらしたらで満たされた気になって、結局何もしないって人が、なんだかいそうだから。

とりあえず、嫉妬もいがみ合いもほどほどにして、前に進みましょうよ、目の前のやるべきことをやりましょう、頑張りましょう。

 

 

みんな、頑張って必死に生きてるんだよ。

だからそんな必死に生きている人を否定するようなことは言わないで。

これがたぶん、言いたかったことです。